このコロナのご事情、どうも皆さん3密を避ければいいと思っているらしく。いや甘い甘い。
山奥のキャンプだったらいいべ?とか思っていません??
いや、GWはどこ行っても混みますので。
キャンプ場ももちろんのこと、駐車場や炊事場、トイレなど密集する場所もありますし、道中の過程で例えば高速のSAなどでの買い物や飲食でまた蔓延の恐れあり、ですよね?
そこで万一家族の誰かが感染したままテントの中で一緒に過ごしたら、一家全員ほぼ100%うつりますわな。
テントなんて家より狭い空間ですし。
んで、後悔は決して先に立ちません。
「あの時ああしてればよかった、こうしてればよかったのか?」
「出会ったのが一番の罪悪か?」
「なぜ?どうして?」
その人の死を思い起こすたびに答えの出ない自問自答を繰り返します。
結局、生き残った、生き残ってしまった自分はいったい何なのか、なぜ生かされたのか、生きるってどんなことなのか、おそらく永遠に答えは出ないかもしれません。
あの時キャンプなんていかなければよかった、なんて後で思っても遅いのです。
だから、そう考える筆者にとってはなぜ今遊びに出かけようか、と計画するのか。それが理解できません。
でかけたいという気持ちはわかることはわかります。
今年は天気も良く、気温も軒並み20度前後と温かい。
つまるところ「天気がいい+気温が高い+仕事休み=レジャー」なわけで。
筆者も愛車のルーフをオープンにして走ると、陽光燦燦で行くあてもなくドライブしたくなりますしねw
ドライブだけならいいとは思いますが、ただ、今年はレジャーは我慢しましょうよ。
でないと本当に大変なことになります。
いくら自分にとって大切な人でも亡くなったら二度と帰ってきません。
戦争が終わって70年以上、身近な人の急死を目の当たりにすることが少なくなって、平和ボケしているのもあるでしょうか。
それに大震災からも9年、被災地の映像で見る阿鼻叫喚の地獄絵図も記憶の中で風化しつつあるかもしれません。
日常、当たり前のことが当たり前にできる、大好きな人のそばにいられる、っていうのは今や個々それぞれの努力や我慢がないとあっという間に消し飛びます。
発症して数日〜数週間でなくなった芸能人の方も最近記憶に新しいはずです。
それほどコロナウィルスは恐ろしいものです。
しかしどうも自粛要請無視のパチ屋に押しかけるパチンカスを見てみると、
「自分だけは大丈夫」
「開いてるとがまんできない」
「ヒマだから」
「独身だから誰にも迷惑かけない」
「そこまで深刻な問題じゃないよね」
とか言ってるパチンカスが多い。
悪い意味で命知らず。いや、近隣住人の方が不憫です。
「苦あれば楽あり」っていいますよね。
仏教では、我々は娑婆という「忍耐の世界」に住んでいます。
「忍耐」とは「苦しみ」であり、釈迦は、この世は苦しみに満ち溢れていると説いています。
事実、この世の中は色々な苦しみが数多く、生きていくのは容易ではありません。おまけに、「コロナ」が猛威を振るう現在、精神的・肉体的に苦しみを感ずる度合いは大きい。
仏教では、その苦しみを四種類に分けて「四苦」といいます。「四苦八苦」という言葉でおなじみですね。
第一に、この世に生まれ、生きていく苦しみの「生(しょう)苦(く)」、やがて、成長が老いの苦しみに変わっていく「老苦」、さまざまの種類の病の「病苦」、そして死を迎える恐怖と肉体的な苦しみの「死苦」です。
この生・老・病・死の四つを「四苦」といいますが。
この「四苦」から逃れる術もないし、逃れた人間もないのが現実です。では私たちはどうするべきか?
まず、この世は四苦の世界だから「苦しいのが当たり前」と悟ること。歓楽によって苦しみを一時的に忘れようとしても、それは解決にはなりません。
ただし、生苦(生きていく苦しみ)を、生きていく喜びに変わっていくということもあります。
努力が実り、良い方向への変化を感じ、充実した気持ちと満足感。
それらが苦しいだけと思っていたとしても、自分の力で楽しく明るい世界に変えることが可能であることを知らなければなりません。
「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」と悟れば、苦しみに打ち勝つ力も生れてきましょう。っていってもパチ中毒には「釈迦に説法」かwww
まとめ。今は苦しいかもしれませんが、頑張りましょう!
STAY HOMEでおねがいします。